村上電株式会社は1982年の設立から、工業用プラスチック加工販売を生業としています。近年は、研究所で使用する実験部品、大学生のための実験用部品を製作する機会が増えています。
父の創業から、私が村上電業に関わるまでのエピソードを少し紹介します。
父は工業高校出身です。大田区の工場で働き、「俺なら独立できる」と、1974年に起業を決意。横浜市鶴見区で小さな工場を借り、職人としての腕を磨き続けました。
1982年の創業から、工業用プラスチック加工販売を生業としています。近年は、研究所で使用する実験部品、大学生のための実験用部品を製作する機会が増えています。

成功を確信し家族で小机に移住
そして、1981年には、鶴見の隣の横浜市港北区小机町を見つけます。発展していく新横浜エリアに、父が思い描く、事業を大きく展開できる未来を感じたのです。
父は、住居兼工場の条件が揃った土地を探し始めました。しばらくして、成功すると確信した小机町の一角に土地を購入します。そこに工場を設け、家族全員で移り住むことになりました。これが村上電業の始まりです。
新幹線の乗降駅や横浜アリーナで知られる新横浜と比べ、当時の小机エリアは、何もない町でした。いまは日産スタジアムの最寄り駅の一つとして知られていますが、戦国時代には北条氏が築いた小机城がありました。
お城は小机城跡市民の森として残っており、地域住民に親しまれています。毎年4月には地域が挙げて行うイベント「小机城跡まつり」が開催されます。また、11月には小机城跡の森「竹灯篭まつり」もあり、とても風情のある幻想的な森を体験できます。

村上電業にも軌跡が訪れる
さて村上電業を立ち上げた父ですが、職人として「知恵と知識」を蓄えるまでになるには、数々の経験が必要でした。
まずは、何よりも会社の経営を軌道にのせる事です。成長と売り上げを見込み、工業用部品製作に向けて機械を購入しているのですが、鶴見からのお客様だけでは売上は安定しません。
そこで、昔からの仲間の紹介もあって、日々の仕事につなげていきました。中には父の趣味から縁あって、お客様につながることもありました。それは鉄道です。鉄道関係の部品製作の仕事は今も続いています。
また、父は地域の企業様に売リ込み営業を欠かすことなく、メーカーの工場に訪問を続けました。父は話好きで好奇心旺盛なことから、その人間性がお客様に通じたようです。結果、たくさんの企業から引き合いがあり、工業用の部品を量産するまでになりました。
少しずつ仕事をいただけるようになり、一緒に働く仲間も増えていきました。その頃は職人も複数人いて、工場はフル稼働でした。
ですが、その間にご存知の通り、経済に左右され、村上電業も何度も苦境にあいました。隣の町にあった大手企業の工場も、某ショッピングモールになってしまいました。ショッピングモールができることは地域住民や消費者にとってはなら本当に嬉しいことかもしれません。
しかし、我々製造業としては、大手企業がこの地域から撤退するということは、仕事が無くなることを意味します。それは相当に痛いもので、実際、会社の売り上げは50%ダウンしました。
一千万円の売上を見込んでいた仕事が、吹っ飛んだこともあります。経営難に陥ったのは村上電業だけでなく、倒産したり廃業したりした周りの製造業も少なくありませんでした。

知識と経験を重ね必要とされる企業へ
経営難に加えて、従業員さんの年齢や家庭の事情もあり、時代とともに働く仲間が減っていきました。職人も同様です。
しかし、村上電業は諦めませんでした。
そうです。父は蓄積してきた知恵と知識を生かし、お客様の相談相手になる事が増えてきたのです。
今までの樹脂との関わりの中で、失敗と成功を含めた経験が、メーカーへのアドバイスとして役立つようになっていったのです。製造以外に、周りに必要とされる存在の村上電業が、開花し始めます。
相談が増えたことで、新規のお客様からも評判を呼ぶようになりました。そしてゼネコン関係者の目に留まり、千葉を結ぶあの道路に関わる仕事の受注が決まりました。
そのおかげで売り上げをキープすることができ、これからにつながっていきました。
また、1990年頃に発足した日本では先駆けとなる「マイコンピューターの会」に知人からの誘いがあって所属していた父は、電機メーカーの担当者が集まる会議にも参加しました。パソコンの中のとある部分では、父の提案した仕組みが今も採用されているそうです。
今はネットワーク環境が当たり前の時代となりましたが、父は全盛期の2000年初頭より前からインターネット上で情報をコツコツと発信していきました。そのかいあって、全国の様々な業界から声がかかる企業として存在するまでとなりました。
そこに長女である私が、誰からも継いでくれとも言われてない中、2015年に村上電業に戻ります。これには訳がありますが、それはおいおい書きたいと思います。
後編へ続く
文/村上電業株式会社 村上明香
